息子の発するものが比べようもないくらい明るくなりました。
まっすぐ育ってくれていると思っていますが、高校2年になった頃からか無気力なところが目立つようになりました。
そろそろ進路を考えなければならない時期なのですが、人生をこれからどう進んでいったらいいのか、その指針みたいなものがわからなくなっているようでした。
子どもというのは、今のことだけを考えてノビノビ育つことが仕事みたいなものですが、中学、高校と進むにつれてそうも言っていられなくなります。
勉強の成績が良いほうが良い将来が保障されるというようなイメージが子どものなかにもはびこり、さまざまな条件付けやレッテルが社会には付いて回るのだということを知ります。
ひと昔前は、皆と同じようにしていれば物質的にはそこそこ満足のいく生活が送れるというシステムが社会に機能していました。
普通に進学して、就職して、仕事して、家族を養って(あるいは家事や育児を引き受けて)・・・
そういうプロトタイプの人生に飽き足りなくなった人が増えたのと、企業の情勢が厳しくなって雇用者に「普通」以上の働きが求められるようになったのは、ほぼ同時くらいだったように思います。
そういう時代になってから久しいですが、私たちはまだ「普通」という基準に変わる新しい価値観を創り出してはいません。
なのに学校では、未だに「普通」という価値観のもと、子どもたちは教育されています。
息子がたまに語ってくれる心情を聞いてみると、学校と社会が抱えるそういう矛盾に気が付いていて、それに対して戸惑っているようにも思われました。
私自身は、アデプトを受けて「自分らしさ」という価値観に目覚めたので、息子にもたびたび勧めてみましたが、二日間も見知らぬ大人たちと一緒に、よくわからない話を聞くのは嫌だと断られました。
けれども、この「シャンバラ・トライバル・イニシエーション」なら半日ですので説得することができました。
そうして、昨年の12月19日に東京で行われていたセレモニーに参加したのです。
今、息子はとても変わりました。
といっても、別に「勉強するようになった」とか「家の手伝いをするようになった」とか、そういう目に見える形ではありません。
けれども、彼の発するものが比べようもないくらい明るくなりましたし、不機嫌なときでも前のようなトゲトゲした感じがなくなりました。
というのは、あるとき外食していたら、隣に座っていた20歳前後の男の子のグループで喧嘩が始まったのを目撃したんですが、その子たちが出していたものは(いわゆるオーラとかエネルギーという意味ですが)、うちの息子にもあったことを思い出しました。
喧嘩のきっかけは、一人の子をからかって遊んでいたのですが(いわゆる「イジる」というやつ)、その子が突然キレて反撃したのです。
すぐに店の人が連絡したらしく、警察が来たときは沈静化していたんですが、一触即発で乱闘が始まりそうでした。
ただの殴り合いで済めばいいけれど、もし刃物を持っていたら? 突き飛ばして頭の打ち所が悪かったら? と思うと、ニュースなどで伝わる事件は人ごとではありません。
今の青少年は「突然キレる」と言われてて、その理由は「学校教育のせいだ」とか「親が未熟だから」「バーチャルリアリティなゲームのせいだ」「地域社会が崩壊したからだ」はたまた「環境ホルモンのせいだ」などなど。
私もライターとしていろいろ取材したし、親として考えてもきたけれど、今ひと言でいえるとしたら ・・・
「光が足りないから」 だと思います。
人は若ければ若いほど、つまりいろいろな概念がなければないほど、目に見えないエネルギー(雰囲気とかムードと言ってもいいです)に影響を受け、反応します。
子どもが集団でいるのを観察していればわかりますが、「遊び」や「おふざけ」と「いじめ」の境界線は、大人が考えているよりずっと薄く、それを「良い/悪い」でジャッジするのは非常に無理があります。
子どもたちは、くるりと反転して盤面を白くしたり黒くするオセロゲームのように、いつも変化・変容して生きています。
変化のきっかけは、ものすごく些細であり、デリケートなもの。
いろんなことに無自覚な子どもの心のなかでは、「闇」と「光」は、簡単に入れ替わってしまうものなのでしょう。
店を出るとき、キレた方の男の子に、「大丈夫?」と声をかけたら、「大丈夫です!」と笑顔で答えてくれました。
この笑顔が彼が持っている本来の“光の部分”なのだと思います。
大事なのは「正しいか、間違っているか」ではなく、「光であるか、ないか」。
「光」は「愛」と言い換えてもいいのですが、私自身は、この気付きによってすごく救われました。
「光を増やす」ために、たとえば知らない人同士でも挨拶しあったり、困った人がいたら率先して手を差し伸べたり、そういう社会を作るように一人一人が努力をすることは大切だと思います。
けれども、人間の努力だけでなく、大いなる存在の力を借りて、人の心の暗がりを「光」に変容させていくことも、今の世界には求められているのではないでしょうか。
特定の宗教や神ではなく、自分の中にある“光の部分”を信じ、それを選び取って生きていくことで、心の闇に落ち込むのを避ける。
イニシエーションによってそのことが可能になるということを、私は自分自身の経験と息子の変化を目の当たりにしたことで自信を持ってお伝えできます。
アデプトプログラムに興味あるけど、なかなか時間や金銭面での折り合いがつかない方だけでなく、「目に見えるもの以外は信じられない」という人にも
「シャンバラ・トライバル・イニシエーション」を強くお勧めします。
アデプトプログラムとは…
アデプトプログラムは、2日間かけて行うスピリチュアルセミナーです。シャンバラトライバルイニシエーションと同じイニシエーションを行います。
講義を中心にしたクラスで、私達は何者なのか、私達がどこから来てどこに向かうのか、輪廻転生の真実とは何かなど、古代からの深遠な叡智をエネルギーと共にお伝えします。(2日間、参加費:55,000円)
シャンバラトライバルイニシエーションを受けたれた後、ご希望の方は差額の40000円で受講可能です。 詳しくはコチラ
Shamballah Tribal Initiation
こんな幸せな毎日を、たくさんのお母さんやお父さん、子供たちみんなに味わってもらいたい。
那須シャンバラトライバルイニシエーション
今回の那須行きは、私が望んだことで、最初、主人に行きたいんだけどと言った時は、まったく興味がなさそうで、あきらめていました。
でも、なんとかして、私は家族みんなでイニシエーションをうけ、家族全員で光の一員になりたかった。
その願いが通じたのか、8日になって主人が「ちょっとヒーリングしてほしいんやけど」と一言。
今まで、しようかと私から言っても、しなくていいとかたくなに拒否していた主人の言葉に驚きながらも、その時パッとひらめいたのが、DNAアクテイべーション。さっそくしましたよ。その効果があったのか、翌日には、那須行ってもいいよと。
俄然、はりきりだした私。長男は、光が10倍以上になるという私の一言で行きたいと。
娘は、おまじない(イニシエーション)は嫌だけど、お絵かきしたり、歌ったりはしていいよと。
末っ子は、まだ意思表示ができないから、今回はイニシエーションは見送り。
高速を走ること6、7時間。眠気もふきとばして、運転がんばりました。私の夢を叶えるため。
そしていよいよシャンバラトライバルイニシエーションへ。
場所は、トトロがでてきそうな森の中。
エアコンもない古い木造の劇場。
参加者は、みんな子供連れ。
暑かったけど、とにかく楽しかった~。
歌って、飛んで、叫んで、お絵かきして、寝そべって…。いっぱい笑ったね~。
ほんと笑った、笑った。
主人が途中寝てしまったのにも驚いたけど、それもありあり。
末っ子でさえ、お昼寝も忘れて、最後までがんばって、
あんなにイニシエーションは受けないと言っていた娘が、
「おまじない、私も受けたい」と。
この一言をどれだけ待っていたか。
あまりにうれしくて、ギュッと抱きしめちゃいました。
今回のイニシエーションを、私は誰よりも、娘に受けて欲しかったから。
三人の中では、1番繊細で、涙もろくて、引っ込み思案で、
だけど五歳にしてはすごく冷静な所があって、負けず嫌いで、
そんな娘に、自分から前に一歩踏み出す勇気を持って欲しかった。
だから、ママは、本当にうれしかったんだよ
イニシエーションを三人そろってうけている様子に、思わず泣いてしまいそうになり、
でも暖かい心地よい光に包まれ、本当に幸せだったよ
今回のこのシャンバラトライバルイニシエーションを開催してくださったよもぎた様、
そしてシャンバラトライバルコミュニテイーの講師陣の方々に深く感謝します。
また、マイミクにもなっていただいた、講師のもりもさん、TAPPYさんご夫妻のように愛に満ち溢れた夫婦に私たちもなりたいねと主人と話しています。
この日から、我が家は、よりいっそうパワーアップし、毎日笑いに包まれ、にぎやかで、私や主人がずっと望んでいたファミリーになったように思います。
朝起きたときから、ゲラゲラ笑って、ふざけて、ごろごろ転がって、
時にはけんかもあるけど、それでもまた笑って、歌って・・・
こんな幸せな毎日を、たくさんのお母さんやお父さん、子供たちみんなに味わってもらいたい、
そう強く願いながら、是非今度は、富山でシャンバラトライバルイニシエーションを開催してもらいたいなと思っています。
Shamballah Tribal Initiation